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危険な旅路 ペルー リマ

コロンビアが暴力的な凶悪犯罪が多いのに対して、ペルーはどちらかと言うとスリやひったくり、詐欺といった泥棒的な犯罪が多いのが特徴である。それも半端な数ではなく、僕が初めてペルーを旅行した1980年代後半は世界一の泥棒大国とまで言われていた。

当時のペルーの大統領アラン・ガルシア(再び大統領に返り咲きを狙っているそうだが)が国内の治安対策に全く力を入れなかったため、ペルーは泥棒天国になり、さらにセンデロ・ルミノソなどの反政府ゲリラ組織の活動を活発化させてしまった。

もっとも当時、旅行者がゲリラ組織によるテロのターゲットになることは、ペルー北部の山岳地帯にあるアヤクーチョ周辺に行かない限り殆どなかった(と、言うより聞いたことがなかった)。代わりに旅行者は、国中にうじょうじょと発生した泥棒のターゲットになっていったのである。



ペルー観光のハイライト、マチュピチュ遺跡

 またペルーでは当時、「解放の神学」というローマカトリックでは異端とされていた過激な思想が人々の間で広まり、この思想が泥棒大発生に拍車を掛けていた。

キューバやニカラグアの革命やメキシコのサパティスタの革命運動にも多大な影響を及ぼしたことでも知られる「解放の神学」とは、簡単に言うと貧しい者を救済するための一種の思想で、極端な解釈をすると「金持ちから物を取っても罪にならない」という思想である。

当然ローマカトリックはこの思想を異端とした。ローマ教皇のヨハネパウロ2世がニカラグアを訪問したとき、ニカラグア素朴画で有名なソレンチナメ島の解放の神学者カルデナス神父が手を差し伸べたところ、ヨハネパウロ2世がその手を払ったことは有名なエピソードである。

しかしそのヨハネパウロ2世がペルーの首都リマ郊外にある貧民街を訪問した際、そのあまりの悲惨な光景に「解放の神学」を認めざるを得なくなったと言われている。

僕は今までに6度ペルーを訪問してるが、訪問するたびに治安がよくなっているのに気づいた。特に政権がアラン・ガルシアからアルベルト・フジモリになってからは、最悪だった治安は劇的に回復した。そのためここに書いた情報は、僕が初めてペルーを訪問した1980年代後半の治安が最も悪かった頃のペルーの情報になる。

ペルーには南米観光のハイライトと言われているマチュピチュ遺跡がある。当時、南米を旅する旅行者は「マチュピチュ遺跡があるけど、ペルーは危険なので行かない」という人と、「ペルーは危険だが、マチュピチュ遺跡があるので行く」という人に大きく分かれていた。

つまりあのマチュピチュ遺跡に行くのを諦めさせるほど、ペルーの治安の悪化は旅行者にとって脅威だったのである。マチュピチュ遺跡に行くのを諦めた旅行者の気持ちは、僕だけでなく当時南米を陸路で旅行していた人なら痛いほどよくわかると思う。

南米を陸路で旅していると、コロンビアで神経を極度にすり減らし、次のエクアドルでは少し安堵できるが、その次にはペルーが待っているのである。 もはやコロンビアで精神的に疲れきっている旅行者にとっては、ペルーを無事に乗り切る力は残っていないのである。僕はどうしてもクスコとマチュピチュ遺跡を諦めることができず、ペルーを訪問したのだった。


ペルーの首都・リマのセントロ
この辺りに西海氏が経営するレストラン「ダルマ」がある。

その頃、僕は首都リマにある日本人の溜まり場である安宿「ペンション西海」にいた。

ペンション西海は西海さんという日本人が経営していた宿で、当時多くの日本人旅行者が宿泊しており、情報交換の場として大変重宝していた。

当の西海さんはリマの中心街で日本食レストラン「ダルマ」も経営されており、そちらが忙しいため実質宿の管理などは長期宿泊している旅行者が仕切っていた。

宿泊費は1泊2食付US$で5で、宿泊者は相部屋のベッド1つが割り当てられる、いわゆるドミトリー形式であった。朝食は冷えたパンだけであったが、夕食は西海さん経営のレストラン「ダルマ」でボリュームたっぷりのおいしい食事が出た。

夕食がしっかり食べられることで、ここに宿泊している旅行者は、1日に宿泊費のUS$5以外のお金を使うことが少なかった。あとは安いビール代程度の出費があるくらいであった。おかげでペルーでの生活費は、安く上がった。

リマのアルマス広場にて


リマの中央郵便局付近にて

多くの宿泊者は夜遅くまで宿泊者同士で話し合っていたり、またある者は女性を求めてカジャオへ行ったりしていたので、当然朝起きるのが遅い。だいたいが昼12時以降に起床しており、それから朝食のパンを食べて、街を少しぶらぶらとすると、もう夕食の時間になるのである。つまりあまりお金がかからないライフスタイルになっているのである。

ペンション西海には一種独特な雰囲気のある安宿だったため、その雰囲気になじめない旅行者も多くいた。世界中を旅している旅の達人と呼ばれる人やヒッピー風の人、もう何ヶ月もここに留まっている主のような人が多く宿泊しており、初めてここにやって来た者にとっては彼らが放つオーラになかなかついてゆけないのだ。

大概は2〜3日宿泊すると慣れてしまうのだが、それでも耐えられない者は宿を去っていった。また西海さんの酒癖の悪さを嫌がる旅行者も多かった。西海さんは普段はおおらかな性格の方なのだが、酒が入ると乱れ始めて宿泊者の頭を殴りだす癖があった。

余談ではあるが、ペンション西海が嫌で出て行った旅行者が、チリのサンチアゴにある同じく日本人が経営する「ペンション五月女」に集結していたのには驚いた。確かにペンション五月女の客層はどちらかというと上品な宿泊者が多く、ペンション西海の客層とは大きく異なっていた。

話が少し筋道にそれてしまったが、当時リマでは日本人が毎日のように泥棒の被害にあっていた。ペンション西海の宿泊者も毎日誰かがリマのどこかで泥棒に遭っており、明日は誰が泥棒に遭うのだろうかといった話題に花が咲いた。

ペルーの泥棒は技巧的なものが多く、気を抜いていると知らぬ間に被害に遭ってしまう。また何故か武器を携帯している泥棒が少なく、これがコロンビアと大きく異なっていた。ペルーでは泥棒が武器で脅してカモから物を取るのではなく、大勢でカモを取り囲んで動けなくして物を奪い取る方法がはやっていた。

そこに行くと必ず泥棒の被害に遭うことで有名だった、通称「泥棒市」と呼ばれる市場がリマにある。ここに行った者は必ずといってもよいほど大人数の泥棒に取り囲まれ、身包みをはがされてしまうのである。腕時計はもちろんのこと、ひどい人は上着や靴まで持って行かれ、裸同然で宿まで帰ることになってしまうのである。

ここで奪われた品物は、翌日には当然泥棒市の店先に並ぶことになる。ある時、ペンション西海の宿泊者の間で、有志を募って大人数で泥棒市に行くという、一種の怖いもの見たさの計画があった。こちらも大人数なら泥棒も襲ってこないだろうという憶測があったのだ。

そして有志10名が集まり、有志は万一の場合に備えて何も貴重品を持たずにいざ泥棒市に向かった。そして数時間後、彼らは宿に戻ってきた。彼ら曰く、倍の20人以上の泥棒に取り囲まれたそうである。幸い何も持っていかなかったので被害は無いに等しいが、ぬかるんだ地面に倒されたため、みんなドロドロになって帰ってきたのだった。恐るべし泥棒市である。

泥棒市に限らず、当時のリマはミラフローレス地区等の一部の新市街を除いて泥棒がうじょうじょいた。特にサンマルティン広場周辺のセントロと呼ばれる旧市街地では、泥棒が仕事をする様をよく目撃できた。

リマのセントロでは通称「シャンプー強盗」と呼ばれる技巧的な泥棒もはびこっていた。これはヨーロッパなどでは古典的な泥棒の手口で、カモの背中や腕にシャンプーやアイスクリームなどをわざと付けて、親切な人を装って「かばんを持っていてあげるので、汚れているから拭きなさい」などとハンカチを差し出し、カモがかばんを渡して汚れている箇所に気を取られているすきにとんずらしてしまう手口である。

当然、周りにいる者も泥棒の一味で、さかんに「ここが汚れている」等とカモの注意をそらせるのである。当時多くの日本人がこのシャンプー強盗の被害に遭っていた。ペンション西海に泊まっていた学生風の女性がナスカの地上絵を見に行くために、朝出かけたことがあった。その時僕は「シャンプー強盗には注意してね」としっかり釘を刺し、彼女も「わかった」と頷いていたのだが、その彼女が宿を出て5分もしないうちに宿に戻ってきた。シャンプー強盗にやられてしまったとのことだった。にわかに信じがたいが、わかっていてもやられるときはやられるものなのである。

またある時、僕はペンション西海に泊まっていた別の男性とリマのセントロを歩いていたとき、シャンプー強盗がその男性の背中に何か液体のようなものをかけ、しらじらしく「汚れているよ」と言ってハンカチを差し出した。その男性はそれがシャンプー強盗とわかったので、思いっきり怒鳴り散らしたところ周りにいた数名が一目散に逃げていった。やっかいだったのは男性の背中にかけられた物である。何と黄色いペンキだったのである。その男性は泥棒に何もとられなかったが、服を台無しにしてしまったのだ。

シャンプー強盗だけでなく、スリやひったくりなど、あまりにも次から次と泥棒の被害者が出るので、当時リマにある日本大使館もパスポートの再発行に気軽に応じていた。ペルーの警察も泥棒を取り締まろうという姿勢が無く、泥棒に遭うほうが悪いといった感じだった。

僕もリマの旧市街を歩くときは、視界に写る半数の人間は泥棒だと思って用心を怠らなかった。この最悪の治安が回復し始めたのは、政権がアラン・ガルシアからアルベルト・フジモリなってからだった。リマのセントロにはツーリストポリスと呼ばれる観光客専門の警察官がいたるところに配置され、あれほどひどかったリマ旧市街の治安は奇跡的に回復し始めた。僕はその後も何度かペルーを訪問しているが、その訪問の度に治安の回復を実感させられたのだった。

さて最後にその後のペンション西海についてであるが、十数年前に西海さんが他界されてからしばらくはペルー人である奥さんが宿の経営を引き継いでいたそうだが、かってのような賑わいは無くなったそうである。また現在ペンション西海があるのかも、僕には不明である。かって一世を風靡し、ペルーどころか南米で最も有名な日本人宿だっただけに残念でならない。


 

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